神様が乗り越えられる試練しか与えないんだったら私にはなんの試練もくれないんだけど編

動物触る店に行ってシラフなのに「かわい〜」を連発して疲れた。動物を撫でることと他人の赤子を抱っこするという行為がちょっと意味がわからない 例えば既に眠ってる相手におやすみと声をかけるとか、墓前で話しかけるとかそういうのも苦手です。
見てるのは好きなので疲れても苦痛まではいかなかったけど、私はいいっつってんのに何度も言われる「触りなよー!」の数回に一回は従うようにして退店時間を待った。多分気の許せる友達と行っていたら連発していたであろう「くっせ〜〜!」を何度も我慢したけどうち何回かは口から漏らしてしまったりした。あとは東急ハンズで雑貨見て道でたい焼き食べてセガでぬいぐるみ取ってもらって手料理食べさしてもらってお酒飲んだ。電車に2人で並んで乗っておえかきアプリで絵しりとりをした。100%完膚なきまでにデート。24年出来なかったことを完遂した。

でもこんなことこんなとこに書いてしまえるのだ、なんてことはない!次の日はまたお酒飲んで泣いたり頭を痛くしたりした!そんなのばっかりだな!それもなんてことはない!「そういう日もある笑」ってだけだよな。なんてことない日も楽しい日も悲しい日もあと知らんけどいろんな日があるし、それは当たり前なんだけど、あるから、なんかそういうのを丸々肯定したい、ぜ!せやな!ウンウン!


実家にいる猫は元飼ってた近所のババアが死んでフラついてたところをうちの生きてるババアが餌付けてなんとなく居着くようになってさ、名前とかないんだー」って話(うちのババアが近所のゾンビババアを飼っていた話ではない)をしたらえっなんで?!つけなよー!って当然のように言われてバカクソ萎えた

「猫飼ってる」より「距離の近い野良猫がいる」ほうがなんか素敵っぽいじゃねーか、名前ないのは文学っぽい、ドライな関係に酔っていることを白状します

産んだわけでも飼い始めたわけでもないから名前をつけるってなんか違和感がある気がする(曖昧)するよね