やっぱり歌詞をタイトルにつけてえ
神様が乗り越えられる試練しか与えないんだったら私にはなんの試練もくれないんだけど編
実家にいる猫は元飼ってた近所のババアが死んでフラついてたところをうちの生きてるババアが餌付けてなんとなく居着くようになってさ、名前とかないんだー」って話(うちのババアが近所のゾンビババアを飼っていた話ではない)をしたらえっなんで?!つけなよー!って当然のように言われてバカクソ萎えた
「猫飼ってる」より「距離の近い野良猫がいる」ほうがなんか素敵っぽいじゃねーか、名前ないのは文学っぽい、ドライな関係に酔っていることを白状します
産んだわけでも飼い始めたわけでもないから名前をつけるってなんか違和感がある気がする(曖昧)するよね
好きな人に死んでほしいと思っている
夏は暑い方がいいし失恋は悲しい方がいい
手から精子と顎からよだれのにおいをさせながらさめざめのライブを観に行った話編
大事なことと大事でないこと
最近「死ぬほど」「クソ」「死ね」などの汚い言葉を積極的に使っています。積極的にというか汚いと思いつつも選んで使っている。程度を表す言葉なんだけど、よい表現ではないよね
コン・エアー編
「甘いもの好きなんだよね〜!」「じゃスイ〜ツバイキング行こうよ〜!」ってやりとりしてたはずなんだけど1時間半並んで入って結局おかずコーナーのゴーヤチャンプルーをお互い1番食べてた そういえば以前食べ方について気にしているようなことを書いたけど(おひつ編)バイキングってこれまた与えられた自由に自由を奪われる食事だよね。本当に怖い。
第一印象で「この人バイキングの盛り方雑でも気にしなさそうだな」というのはそれとなく予想がつく。今日は許されるとわかった。おかずと甘いものを交互に食べようと違う味を隣り合わせて乗せようと今日は許される日だった。素面でずっといるのはかなり不安だったけど私がお腹いっぱい食べれるくらいに緊張が解けたのはそのところが占める割合が大きいように思います。バイキング自由形第1コース私、ゴール。大きな拍手。ありがとう。
品数とか相手とのペースの把握とか、順番とか丁寧さとか全部その人の選んだ生きる手段だと思っている。たくさんの異性と食事とセックスをして嗜好を関連付けてブログ本にまとめたらビレヴァンに置いてくれんじゃね