やっぱり歌詞をタイトルにつけてえ

地区のお祭りみたいなやつに参加する機会があって、老若男女入り混じる太鼓の演奏を見たりしました。1番初めの曲で1番目立つ大きな太鼓をみんなの中心で叩いていた13,4歳くらいの男の子は手足が長くて華奢だけど凛々しい表情をしていた。そのキリッとした顔つきは太鼓という文化に触れてるからか彼の内から来るものなのかはたまた単純に遺伝がなせる造形なのかわからないけれど、男の子はその顔をしているだけで華だった。あの人に似ているなあ、中学生の頃はこんな感じだったのかなあ、とか思った。こんなときでさえ、というよりは、あの人のことを、一秒たりとも考えないことはない。
ヒーローになるには資格がいるんだきっと、あの男の子はクラスで異性にも同性にもモテる。生まれる前に天界でヒーロー試験を受けてヒーロー免許を取得して有資格者として現世に転生した人だ。そう考えたら私にはなんの資格もないな。モグリの人生だ。

15人ほどの老若男女の中には15歳くらいの女の子もいて、赤リップとイベント仕様であろうアップの髪がキまっていた。可愛かった。太ももがムッチリしていた。遠目で見るに男の子と女の子が同級生の可能性もなくはないくらいなんだけど、だとしたらそれは第二次性徴期特有の、女の子の方が発育良いやつとかだったらエロすぎだなとか、そういうこと考えとこ〜

神様が乗り越えられる試練しか与えないんだったら私にはなんの試練もくれないんだけど編

動物触る店に行ってシラフなのに「かわい〜」を連発して疲れた。動物を撫でることと他人の赤子を抱っこするという行為がちょっと意味がわからない 例えば既に眠ってる相手におやすみと声をかけるとか、墓前で話しかけるとかそういうのも苦手です。
見てるのは好きなので疲れても苦痛まではいかなかったけど、私はいいっつってんのに何度も言われる「触りなよー!」の数回に一回は従うようにして退店時間を待った。多分気の許せる友達と行っていたら連発していたであろう「くっせ〜〜!」を何度も我慢したけどうち何回かは口から漏らしてしまったりした。あとは東急ハンズで雑貨見て道でたい焼き食べてセガでぬいぐるみ取ってもらって手料理食べさしてもらってお酒飲んだ。電車に2人で並んで乗っておえかきアプリで絵しりとりをした。100%完膚なきまでにデート。24年出来なかったことを完遂した。

でもこんなことこんなとこに書いてしまえるのだ、なんてことはない!次の日はまたお酒飲んで泣いたり頭を痛くしたりした!そんなのばっかりだな!それもなんてことはない!「そういう日もある笑」ってだけだよな。なんてことない日も楽しい日も悲しい日もあと知らんけどいろんな日があるし、それは当たり前なんだけど、あるから、なんかそういうのを丸々肯定したい、ぜ!せやな!ウンウン!


実家にいる猫は元飼ってた近所のババアが死んでフラついてたところをうちの生きてるババアが餌付けてなんとなく居着くようになってさ、名前とかないんだー」って話(うちのババアが近所のゾンビババアを飼っていた話ではない)をしたらえっなんで?!つけなよー!って当然のように言われてバカクソ萎えた

「猫飼ってる」より「距離の近い野良猫がいる」ほうがなんか素敵っぽいじゃねーか、名前ないのは文学っぽい、ドライな関係に酔っていることを白状します

産んだわけでも飼い始めたわけでもないから名前をつけるってなんか違和感がある気がする(曖昧)するよね

好きな人に死んでほしいと思っている

大体のことが恐るるに足らないことを知ります
子供の頃苦手だった食べ物が食べれるようになるのは舌が大人の方が鈍感だからとか、なんとか、嫌だなあ鈍感になってしまうのは、いろんなことにビンビンでいたいよな、こないだ、すごく嫌い怖いだった人に久しぶりに会ったとき、あっそんなでもねえな、と思いました、それも克服というのだろうか、前は何がそんなに苦しかったんだろうかな
感覚が鈍る一方でも、もちろん知ることも多いから、鈍感な大人でもなりに嫌いなもの好きなものは減らせない。私の定規にならって是も非もたしかにあって、最近はというと線引きはない曖昧なそれもなんとなく言語化できる気が前よりもする。かといって感情的にワーッて大変汚いときもなくならないし。変なことに怒るし好きな人にイラつく。博愛主義はうんこ、誰とでも仲良くすんな死ね、感情がないやつ、スカしてんじゃねー、即身仏やれ

お仕事をずる休みした。小学校のときは、体はしこたま強かったし、行きたくない理由もなかったし、学校休むのは年に一回くらいだった気がする。今はもうこれ。丁寧な暮らし、できない。悪口いっぱい言う。酒飲んで吐く。イェーイサイコー!
よく「思い描いてた大人像と違う」みたいな、あーなんかそんな感じのライブのMCごまんと聞いたな、クソどうでもいいな

夏は暑い方がいいし失恋は悲しい方がいい

晩御飯は昨夜のホットプレート焼肉の残りの肉。兄がフライパンで焼いてくれた。実家にゆっくりいたくて最終の新幹線を取っていたから、東京の家に着いたのは24時を過ぎていた。帰省前に掃除はしたけれどビニール袋にまとめたゴミを出し忘れていたようで。詰めが甘い。成虫でも幼虫でもなかったのは不幸中の幸い、袋の周りに散らばった蛹を、あと数日遅ければ早ければ地獄だった、どうして私はいつもこうなんだと、思うことにも慣れてしまって、掃除し直してキャリーケースを開けて寝る準備をしてやっとの思いでオナニーして寝た。休日はそれでも丸一日あるのでその日は体が痛くなるまで寝た。寝たり起きたりを繰り返して、20時を過ぎてやっと外の空気にふれた。まどろみの中で今日はラーメンを食べると決めていた。確固たる意志。連休明けに向けて英気を養いたい。食券を買ってにんにくとあと野菜増しでと伝えた。にんにく食べて元気が出る実感はないし、風邪だからうどんとか、寝たいからホットミルク、とか冬だから鍋、とかそういうの正直大体わからない。私にとっては儀式のようなもので、効能よりもゲン担ぎだと思っている派だ。そういう、気の持ちようみたいなことをよく考える。大体のことはタイミングと思い込みだと、今は思い込んでいるという話で、つまるところなんとだって思える
毎日は苦しい方がいい。
にんにくは入ってなかった。ブスの女だから舐められたのか?醤油が濃くてまずかった。お腹がいっぱいで気持ちが悪かった。最悪だ。

手から精子と顎からよだれのにおいをさせながらさめざめのライブを観に行った話編

拭って消えないものはやっかいだ、匂いも傷も、ジョバジョバ湧き続ける涙も似たようなもので、あとを引いて胸糞が悪い。すんすんなんて泣けない。涙の数だけ弱く、そうだか弱い女になっていたら誰か守ってくれただろうか?などそういうのは考えるだけ無駄。強さとか弱さとか数値化できないそれで人を不当化するのは私の悪い癖で死なないと治らないのかもしれない。そんなのも含めて私の持つ全ての負をセメントで埋め立てるべくこの度始めたのがマッチングアプリで。卑屈は卑屈なりに改善したいと思っているわけで。毒を制すのは薬、ひねくれを治すなら愛では?と甘い考えを持って、知らない男に会うべく知らない街に降り立っていた。甘いから傷つくんだけど、傷を忘れさせるのは新しい傷だと思った。
 
初めて降りる駅、腹ごしらえのコンビニのチャーハン、エレベーターなし◯階、その人と一緒にいたのは濃くも薄くもない実質の2時間だった。その人の整頓された部屋にあるCDやマンガや写真集、本棚の中身は半分以上が私の好きなもの、知ってるものだった。そんなもんで他人がわかるなんてことありえなかった。想定外でもない。なんてことはない。
帰り際に玄関で申し訳程度に抱きしめてもらった。陽が傾く前に電車に乗って、ライブの前にカフェでご飯をお腹いっぱい食べた。多分もう二度と会うことはないな、というのはお互いわかった。
 
フロアに手すりがあって、鉄を握ると錆の匂いと混ざった。脚色せずに言うと大大大好きなアーティストというわけではなくて、ないんだけど、それでも高校のときからずっと聴いたり聴かなかったりしてて、たまたまライブ知って当日券で行った。そんな日もあるんだね。「あのときああしてれば」というのを私はあまり思ったことがない。良い悪いとか正誤とか善悪とか合否とかそんなのなしに、そのときはそのときなりに考えて出したものなはずで、それ以外は不可能でしょうがないって思ってるからです。でもこのときは東京に来て良かったと、完全に思った。ハッとした。私が可能にできたことなんだと思った。ライブ見ながら、これが私の東京ドキュメンタリーか〜〜〜〜!!!思ってたんとちげえ〜〜〜〜!!!好きな人とはセフレにすらなれねえ〜〜〜〜!!!知らん男にも傾倒できん〜〜〜〜!!!あ゛〜〜〜〜!!!とこのときはさすがに思った。思い散らかした。しょうがなくしなくてよかった。しょうもなくてもいい。報われなくても全部私のしたことで、なんにもないよりまだマシな気がするから、それでいいと思ったよ。
 
 
 
 
???????
 
 
ヤッベ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なんか男と会ったあとに見たライブがしこたま良かったって話をしたかったんだけど、シリアスな感じ出てしまったな~~~~~東京に来て好きでもない男を触って感傷に浸ってるクソマンコみたいになってしまったけど違う~~~~可哀想ぶるとかもってのほかだし自暴自棄も迷走もしてない~~~~~~~私もう24だからな自分でやろうと思ったことやってるんじゃけどこういうこと書くとあいつ大丈夫か?とか東北で囁かれんのかな、かな まいんじゃけど、あとそういえばその人の部屋めちゃくちゃ整頓されてたんだけど私は汚い部屋と汚い字フェチでゲンナリ。うーん部屋の汚いヤリチンって少なそうだ
飛躍の年です。

大事なことと大事でないこと

最近「死ぬほど」「クソ」「死ね」などの汚い言葉を積極的に使っています。積極的にというか汚いと思いつつも選んで使っている。程度を表す言葉なんだけど、よい表現ではないよね

尊敬してるというか好きなというか、そんな人が「死ねって言葉は絶対に言わない」って言ってたのを聞いて、その人のことは盲信というか、全て正しいと強く思っているフシがあるんですけど、あっそうかあこれは同意できないかもなって初めて思った 

コン・エアー編

「甘いもの好きなんだよね〜!」「じゃスイ〜ツバイキング行こうよ〜!」ってやりとりしてたはずなんだけど1時間半並んで入って結局おかずコーナーのゴーヤチャンプルーをお互い1番食べてた そういえば以前食べ方について気にしているようなことを書いたけど(おひつ編)バイキングってこれまた与えられた自由に自由を奪われる食事だよね。本当に怖い。

第一印象で「この人バイキングの盛り方雑でも気にしなさそうだな」というのはそれとなく予想がつく。今日は許されるとわかった。おかずと甘いものを交互に食べようと違う味を隣り合わせて乗せようと今日は許される日だった。素面でずっといるのはかなり不安だったけど私がお腹いっぱい食べれるくらいに緊張が解けたのはそのところが占める割合が大きいように思います。バイキング自由形第1コース私、ゴール。大きな拍手。ありがとう。

品数とか相手とのペースの把握とか、順番とか丁寧さとか全部その人の選んだ生きる手段だと思っている。たくさんの異性と食事とセックスをして嗜好を関連付けてブログ本にまとめたらビレヴァンに置いてくれんじゃね